2025/2/5
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飯縄(飯綱)神社と天狗について |
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飯縄(飯綱)神社について
飯縄神社の歴史 飯縄神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりです。飯縄山は、その開山は、戸隠山より早かったと言います。 本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われています。
ちなみに そして忠綱の子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、。
室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進されます。 徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇りました。 荒安地区になる里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれています。 ちなみに
天狗の話 飯縄神社は早くから修験道と関係をもち、「阿娑縛抄諸寺略記」の戸隠寺の条には、学問行者が戸隠山を開くに先立って飯縄に登り祈念を行ったことを記されているようです。 また戸隠神杜の古縁起「戸隠山顕光寺流記」(戸隠神社文書)にも嘉祥三年(八五〇)三月に、学問行者が初めて飯縄山に登り諸神の加護を請うたことを述べられているようで、戸隠山と飯縄山の修験の結付きは、既に平安時代にあったようです。 また同記によれば、鎌倉時代に至って、
飯縄の法は、飯縄大明神が変幻自在の天狗となって、あるいは六地蔵と現じて国土を回り、衆生を助け魔界をなくそうとすることを本旨とするものであったようです。
飯縄三郎天狗 飯綱三郎、あるいは飯綱山三郎坊とも呼ばれています。『天狗経』に書かれている四十八天狗に名前が挙げられ、八天狗にも名前を連ねています。 天狗の中では、高い地位であったようですね。
他の天狗の統領たちがしばしば鼻高天狗で描かれることが多い中で、飯綱山三郎坊はクチバシを持った烏天狗として描かれています。
ちなみに
平安時代末期には不動明王の化身・飯綱権現として、飯綱山に祀られた。不動明王の化身とされ、燃え盛る炎を背に、右手には剣、左手には索(綱)を持ち、烏天狗の姿で白狐の上に立って乗る姿で描かれています。
高尾山の総本山が、飯縄山である 元々、高尾山「高尾山薬王院有喜寺」は、西暦744年に聖武天皇の勅令により、行基が開山したとされています。
飯縄山、飯縄大権現の山岳信仰は室町時代から盛んになり、全国に100箇所以上の飯縄神社が全国各地にあるとされていますとか。
ちなみに
高尾山薬王院大本堂(御本堂)は、 薬師如来は、 飯縄大権現は
飯縄山についてはこちらもどうぞ。
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参考 高尾山と天狗様 高尾山薬王院公式ホームページ |
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