2024/6/26
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高妻山について |
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高妻山について 高妻山(たかつまやま)は、 新潟県妙高市と長野県長野市に跨る標高2,353 mの山で、戸隠連峰の最高峰です。 日本百名山のひとつです。 地元では富士山のようにとんがり、存在感を示していることから「戸隠富士」とも呼ばれています。
古く平安~江戸時代にかけて修験の山だっただけに、その名残として各所に小さな石仏とともに地名が残っています。 一不動、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵、六弥勒、七観音、八薬師、九勢至と続き、高妻山の山頂手前には十阿弥陀があります。その先にある乙妻山まで山岳宗教の名残があり、十一阿閦、十二大日、十三虚空蔵まで続いています。
十阿弥陀には、立派な青銅鏡が祀られています。 その青銅鏡は文久2年(1862)、高妻山に仏心という者が入峯して神鏡を安置しました。 高さ2m、直径63㎝、重さ40㎏とも思わせる青銅の鏡です。
そこへの修験者が通った登山道を大澤通りといいます。 随神門の少し手前、参道右脇に建つ高妻山神鏡碑は、大澤通りの入口といわれているところです。
高妻山神鏡碑には「高妻山神鏡 大澤講々長武津信 大澤通苅分」と書いてあります。 1862 年(文久二年)に高妻山に神鏡を建て、1864 年に大澤通りの整備に着手して 1868 年に道作りの苅分を成就させた、この碑の所から高妻山への大澤通りの道が始まったとか、青銅鏡を高妻山に設置した記念の碑との話もあるようです。 青銅鏡を設置及び苅分成就の記念の碑であろうと推測されています。
よく登られるのは、戸隠牧場から沢沿いを登り、一不動避難小屋をへて五地蔵山、高妻山に向かうルートです。 簡単に紹介します。 「S」がスタート&ゴール地点の戸隠牧場入り口です。 地図の左側のルートから入り、山頂到着したら、折り返して行きとは違う右側のルートを使って下山します。
牧場をスタートしアスファルトの道を登っていくと、左手に登山口があります。
しばらく歩くと沢を渡ります。 15回ほど沢渡りをしました。 靴は防水が必須です。 沢を通じた鎖場がなかなかの曲者です。滑るので慎重に行きたいところです。 鎖場は続きます。ここを登ると横に鎖を伝って進みます。 滝の横を鎖で登ります。
水場が見えたら、沢が終わります。 しばらく登っていくと一不動避難小屋があります。 沢登りの楽しさを味わった後は、一不動~九勢至を巡ります。 修業の場であったようですから、一~九はそれぞれ小ピークの上にあります。 きついところですが、ここは春には花が楽しめるところでもあり、飽きずに登れます(きついけどね)。
一不動 二釈迦 三文殊 四普賢 五地蔵 六弥勒 七薬師 八観音 九勢至 ここから前にそびえるのが高妻山名物の登りです。 ここまで小さなピークを登り下りしてきましたが、十阿弥陀まで長い登りが続きます。 登りきると尾根に出て、今度は岩場が登場します。
その中に十阿弥陀の姿が見えてきます。 ここまで来たら、山頂はもう少しです。 山頂です。 この日は曇りで景観は今一つでしたが、写真は撮りませんでしたがのんびりしていると雲が切れてあたりを見渡せることができました。
下山は、弥勒新道を使います。 この登山道は暗いうちから登る場合や冬季の積雪期によく使われるルートです。 2001年10月、戸隠キャンプ場から五地藏山へ至る尾根を経路とする新たな登山道が整備されたのがこの弥勒新道です。 これにより戸隠キャンプ場から一不動避難小屋を経由せず五地藏山を経て高妻山へ至るルートをとることも可能になりました。 一不動経由の登山道に比べて危険箇所が少なく、山頂までの所要時間も短縮することができます。 ただしこの登山道は、尾根道であるため、道中に水場がありません。そしてまた急登が続くので、汗のかく夏場の登山では水分を多めに用意する必要があります。
下りは急です。 沢の音が聞こえてきたら戸隠牧場が見えてきます。 目の前には飯縄連峰が見えて広大な景色を楽しめます。 ゴールの戸隠牧場の受付。 お疲れさまでした。
高妻山は、沢登りの楽しさ、様々な花が随所に見れ、また最後の急登は急登で限りある厳しさを味わうことができて、楽しい山です。 とはいえ体力があってこそ楽しめますので、夏場は特に水分を多めに持っていき無理なく楽しんでください。
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